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「めがね橋」王子橋(おうじばし)

「めがね橋」の価値、はっきり見えた! 愛好家絶賛、京都・亀岡 : 京都新聞
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王子橋 (石造アーチ橋)京都府亀岡市
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名称  王子橋(おうじばし)
所在地 京都府 亀岡市篠町
竣工年 1884 明治17年 完成

石塔に表彰状が
選奨年 2007年 社団法人土木学会(東京都新宿区)の「選奨土木遺産」に認定された。府内では5例目の認定で、繊細な技術と美観を兼ね備えている点が評価された。
選奨理由 田邊朔郎設計の石造アーチ橋で、輪石と壁石が夫婦天端で一体化した非常に珍しい構造形式をもつ道路橋(現在は人道橋)である。

穴太寺・谷性寺のさくら2019

穴太寺・谷性寺のさくら2019
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西国二十一番札所穴太寺(あなおじ)、先日、京都国立博物館一遍上人の特別展をみた。展示の中に1199年頃一遍上人が穴生寺(穴太寺)に訪れている絵画があった。昔から遠くから訪れる人がいるお寺です。天気も良く、桜もちょうど見頃でした。小幡神社、金剛寺(応挙寺)そして谷性寺(こくしょうじ)へ、9km程離れたところにある明智光秀ゆかりのお寺です。ここは小さいお寺なんですが、枝垂れ桜に囲まれこじんまりとした美しいおてらです。殆どおどづれる人もなく静かで、光秀の首塚、明智門があります。桔梗で有名なところです。天気が良くさくら(枝垂れ桜)も見頃でした。帰りは湯ノ花温泉、山内川沿いなどを6km程ぶらぶらと歩いてきました。(2019/4/13)

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法金剛院のさくら2019

法金剛院のさくら2019
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京都の花園にある法金剛院ははなの寺としても有名です。鳥羽上皇の待賢門院(たいけんもんいん)が再興したお寺で、待賢門院ざくらという枝垂れ桜がちょうど見頃でした。ここは訪れる人もなく静かに優しい色の枝垂れ桜を楽しめました。何年前に訪れたときは住職の説法が聞けました。今はやっていないみたい。律宗のお寺で唐招提寺より蓮を持ってきたと言われていました。この間テレビに出てられたのでお元気だと思う。(2019/4/12)

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亀岡運動公園のさくら2019

亀岡運動公園のさくら2019
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昔、通った南桑中学校が1973年まであった(今は2km程離れた所に移転)場所を整備して亀岡の運動公園が出来た。陸上競技場、体育館、プールなどを併設している。そこに犬飼川沿いに桜並木があり、今まさに盛りだった当時の中学校の記憶を辿りながら、散策してみた。土曜日でも殆ど人がいない。ましてトロッコ列車など違って外国人は皆無でした。ひとり青空と満開の桜(染井吉野)、そして枝垂れ桜の優雅な花々を思い出と友に満喫してきました。また犬飼川の水の綺麗なこと。いつまでも保って欲しいものです。(2019/4/13)

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西国三十三所二十一番穴太寺

西国三十三所二十一番穴太寺 –
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西国三十三所の起源は1300年からとか、亀岡には穴太寺(天台宗)という札所がある。四季を通じてよく、散歩でいくところ、実家から3km位にある。今の時期は穴太寺の近くに、彼岸花の名所がある。時期が1週間ほど早かったせいでほんの少しだけしか咲いていなかった。なかなかこの時期帰ることが少ないので、彼岸花には巡り会えない。昔こどものころ、彼岸花は「家に持って帰るな家が燃えてしまう」という花。田圃の畦をモグラから守るために人工的に植えられた花です。いまは曽我部地区は名所になっています。小幡神社は歴史学者の故人上田正昭氏の実家、金剛寺は円山応挙の画家になるきっかけとなったお寺で、晩年の作品が残っている。

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長岡天満宮・三十三間堂

長岡天満宮・三十三間堂 –
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亀岡を出るときは雨が降っていた。雨降りなので京都国立博物館でも行こうかなと京都近くまで来たら雨が上がっていた。かねてから行きたかった長岡天満宮(四季の花が美しい、桜、つつじ、花菖蒲、紅葉)へ行くことにした。長岡京市は亀岡市の直ぐ隣ですが、直通で行く交通機関がないのでいままで来たことがない町、JR長岡京駅の隣には村田製作所の本社が建っています。また駅から長岡天満宮への参道は広い広い道路に改良中で、綺麗な道です。三十三間堂に行って1001体の国宝にあってきた。1001体が国宝になってから初めて。内部は変わっていないが、入り口とか誘導口とかはかなり変わっていた。荘厳な仏様に出会えた。

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台風21号の爪痕(ひえ田野神社・御霊神社)

台風21号の爪痕(ひえ田野神社・御霊神社)
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9月の台風21号は京都各地、近畿各地に大きな爪痕を残して去って行った。第
二室戸台風と同じようなコースを辿って亀岡でも屋根瓦が飛ばされているとこ
ろが多く、修復は12月まで待っても終わらないと言っていた。ひえ田野神社、
御霊神社も木々が倒れたり、折れたりして酷い状態まだ手が付けられない状態
でした。「願封じの木」が酷い痛みようでした。金儲け主義に走るからたたり
だと言う人もいてなかなか生臭い話もありました。佐伯灯籠と人形浄瑠璃が有
名なところです。また「願封じの木」にはバスを連ねて参拝者も来られるとこ
ろです。

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「丹波誌」と「南桑田郡誌」のこと

ふるさと亀岡に関する資料が見つかりました。「丹波誌」と「南桑田郡誌」の2冊。古文書の範囲に入りますが、多分、誰でも読める範疇の本だと思います。旧字以外は読みこなせるのでは。しかしひらがな、和歌などは難しい。「丹波誌」全15巻約3000ページにわたる詳細な資料です。また南桑田郡誌は現在の亀岡市が大半になります。どちらも大正13年発行のもの。一つは国立国会図書館ライブラリー、もう一つは『京の記憶アーカイブ』で両方ともデジタル資料としてダウンロード出来ます。それらをPDFにまとめて、タブレットで読むと読みやすい。まだ全部は読んでいませんが、仁徳天皇の御代、桑田玖賀媛の話、源義経のひよどりごえ(一ノ谷の戦い)のときに通った篠山街道、足利尊氏が篠村八幡宮で挙兵した場所。明智光秀が本能寺の変の前に準備したところと話題の多い所です。また地元の地名、名字などが出てきて土地勘の或る人にはわかりやすい事柄が書かれていて興味をもって読むことが出来ます。「丹波誌」によると亀山城の名前も波多野秀治の家臣二階堂伊豆守秀香の時代は圓岡城(まるおか)円岡城、明智光秀が攻め落として亀寳城(きほう)亀宝城と命名する。したがって本能寺の変、ガラシャ夫人のお玉、斎藤利三の娘おふく(後の春日局)などが住んでいた頃は亀宝城と呼ばれていた。また亀山城は秀吉の家臣前田玄以が命名した。とのこと。本能寺の変の詳細な描写もあり、今まで言われていることとは違ったことも書いてあります。まだ読み込んでいないのでもう少し読んでみたいと思います。

丹波誌全巻15巻
総論:1巻、亀岡町1巻、南桑田郡2巻、北桑田郡1巻、船井郡2巻、何鹿郡2巻、天田郡2巻、多紀郡2巻、氷上郡2巻
著者:北村龍象
発行日:大正13年11月1日
寛政年間に福知山藩の古川茂正、篠山藩の永戸貞が編纂した氷上、天田、多紀の三郡を再編し、残りの桑田、船井、何鹿の三郡を追加

内容
丹波誌巻一:総論277頁、丹波誌巻二:南桑田郡上巻279頁、丹波誌巻三:南桑田郡下巻196頁、丹波誌巻四:亀岡町283頁、丹波誌巻五:北桑田郡268頁、丹波誌巻六:船井郡上巻135頁、丹波誌巻七:船井郡下巻236頁、丹波誌巻八:何鹿郡上巻157頁、丹波誌巻九:何鹿郡下巻192頁、丹波誌巻十:天田郡上巻194頁、丹波誌巻十一:天田郡下巻200頁、丹波誌巻十二:多紀郡上巻189頁、丹波誌巻十三:多紀郡下巻164頁、丹波誌巻十四:氷上郡上巻149頁、丹波誌巻十五:氷上郡下巻117頁

北村龍象(きたむらりゅうしょう 1844~1926)
明治元年、馬路村に北村塾を開き、30年以上にわたり若者たちに法制・経済・漢籍などを教えた北村龍象は、丹波・亀岡を深く愛し、郷土史「丹波誌」を著しています。

京都府立京都学・歴彩館『京の記憶アーカイブ』には下記のような説明があります。

丹波国は地誌の少ない地方で、寛政年間に福知山藩の古川茂正と篠山藩の永戸貞が編纂した「丹波志」が唯一のものであったが、撰者が相次いで没したため、氷上、天田、多紀の三郡が完成したのみで途絶えていた。大正13年になって、丹波亀岡の人、北村龍象がこの「丹波志」の完成を意図し、残りの桑田、船井、何鹿の三郡を追加し、先の三郡を改訂して完成させたものが本書である。全15巻の内容は、各郡ごとに、地勢、産物、交通、風俗、社寺、人物等にわたって詳細に記されており、長年の実地踏査に基づいた好資料である。本書の見返しに「先生に請ひて二部を浄写し、京都帝国大学図書館と京都府立図書館に各一部を寄託す」とあり、漢学者龍象の門下生が二部浄写したことがわかる。当館所蔵本は京都府立図書館から引き継いだものである。なお立命館大学には上記の二部によった筆写本がある。

京都府立京都学・歴彩館『京の記憶アーカイブ』
www.archives.kyoto.jp/
丹波誌全巻15巻
www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail/224873/1/1

南桑田郡誌
dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978749
南桑田郡誌
京都府教育会南桑田郡部会 (1924/1/1)

亀岡で手に入る醤油、最中(丹波大納言)などを紹介

「がっちり」仲良しキュウリ、家庭菜園で収穫 京都・亀岡

二条城「遠侍二の間」一般公開へ 障壁画や彫刻など間近に : 京都新聞
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京都ナスの出荷本格化 色鮮やかな実、早朝から収穫 : 京都新聞
www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180703000116
「がっちり」仲良しキュウリ、家庭菜園で収穫 京都・亀岡 : 京都新聞
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