Archive for 2018年8月2日

「丹波誌」と「南桑田郡誌」のこと

ふるさと亀岡に関する資料が見つかりました。「丹波誌」と「南桑田郡誌」の2冊。古文書の範囲に入りますが、多分、誰でも読める範疇の本だと思います。旧字以外は読みこなせるのでは。しかしひらがな、和歌などは難しい。「丹波誌」全15巻約3000ページにわたる詳細な資料です。また南桑田郡誌は現在の亀岡市が大半になります。どちらも大正13年発行のもの。一つは国立国会図書館ライブラリー、もう一つは『京の記憶アーカイブ』で両方ともデジタル資料としてダウンロード出来ます。それらをPDFにまとめて、タブレットで読むと読みやすい。まだ全部は読んでいませんが、仁徳天皇の御代、桑田玖賀媛の話、源義経のひよどりごえ(一ノ谷の戦い)のときに通った篠山街道、足利尊氏が篠村八幡宮で挙兵した場所。明智光秀が本能寺の変の前に準備したところと話題の多い所です。また地元の地名、名字などが出てきて土地勘の或る人にはわかりやすい事柄が書かれていて興味をもって読むことが出来ます。「丹波誌」によると亀山城の名前も波多野秀治の家臣二階堂伊豆守秀香の時代は圓岡城(まるおか)円岡城、明智光秀が攻め落として亀寳城(きほう)亀宝城と命名する。したがって本能寺の変、ガラシャ夫人のお玉、斎藤利三の娘おふく(後の春日局)などが住んでいた頃は亀宝城と呼ばれていた。また亀山城は秀吉の家臣前田玄以が命名した。とのこと。本能寺の変の詳細な描写もあり、今まで言われていることとは違ったことも書いてあります。まだ読み込んでいないのでもう少し読んでみたいと思います。

丹波誌全巻15巻
総論:1巻、亀岡町1巻、南桑田郡2巻、北桑田郡1巻、船井郡2巻、何鹿郡2巻、天田郡2巻、多紀郡2巻、氷上郡2巻
著者:北村龍象
発行日:大正13年11月1日
寛政年間に福知山藩の古川茂正、篠山藩の永戸貞が編纂した氷上、天田、多紀の三郡を再編し、残りの桑田、船井、何鹿の三郡を追加

内容
丹波誌巻一:総論277頁、丹波誌巻二:南桑田郡上巻279頁、丹波誌巻三:南桑田郡下巻196頁、丹波誌巻四:亀岡町283頁、丹波誌巻五:北桑田郡268頁、丹波誌巻六:船井郡上巻135頁、丹波誌巻七:船井郡下巻236頁、丹波誌巻八:何鹿郡上巻157頁、丹波誌巻九:何鹿郡下巻192頁、丹波誌巻十:天田郡上巻194頁、丹波誌巻十一:天田郡下巻200頁、丹波誌巻十二:多紀郡上巻189頁、丹波誌巻十三:多紀郡下巻164頁、丹波誌巻十四:氷上郡上巻149頁、丹波誌巻十五:氷上郡下巻117頁

北村龍象(きたむらりゅうしょう 1844~1926)
明治元年、馬路村に北村塾を開き、30年以上にわたり若者たちに法制・経済・漢籍などを教えた北村龍象は、丹波・亀岡を深く愛し、郷土史「丹波誌」を著しています。

京都府立京都学・歴彩館『京の記憶アーカイブ』には下記のような説明があります。

丹波国は地誌の少ない地方で、寛政年間に福知山藩の古川茂正と篠山藩の永戸貞が編纂した「丹波志」が唯一のものであったが、撰者が相次いで没したため、氷上、天田、多紀の三郡が完成したのみで途絶えていた。大正13年になって、丹波亀岡の人、北村龍象がこの「丹波志」の完成を意図し、残りの桑田、船井、何鹿の三郡を追加し、先の三郡を改訂して完成させたものが本書である。全15巻の内容は、各郡ごとに、地勢、産物、交通、風俗、社寺、人物等にわたって詳細に記されており、長年の実地踏査に基づいた好資料である。本書の見返しに「先生に請ひて二部を浄写し、京都帝国大学図書館と京都府立図書館に各一部を寄託す」とあり、漢学者龍象の門下生が二部浄写したことがわかる。当館所蔵本は京都府立図書館から引き継いだものである。なお立命館大学には上記の二部によった筆写本がある。

京都府立京都学・歴彩館『京の記憶アーカイブ』
www.archives.kyoto.jp/
丹波誌全巻15巻
www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail/224873/1/1

南桑田郡誌
dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978749
南桑田郡誌
京都府教育会南桑田郡部会 (1924/1/1)

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