今回、ある方の企画で11/29(火) 福島(川俣町・飯舘村・南相馬市・浪江町)を訪問してきました。案内は元福島大学学長のK氏。当方は3人。当初福島駅を10時に出発して、川俣町を経由して南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町を回って福島市に戻る予定だったのですが、日没になって浪江町まで。福島市(海抜70m)から川俣町(海抜200m)飯舘村(海抜440)南相馬市道の駅(19m)国道6号線から海側へ、そして南下して浪江町まで。K氏の線量計を常にオンにして走行して行きました。 飯舘村役場では0.3μSv/h年に換算すると2.63mSv(役場に設置してあるものとほぼ同じ)村内を走行していると0.9μSv/h(7.88mSv/年)〜0.2μSvと頻繁に数値が変わりました。飯舘村では「いいたて福祉会」の施設長のS氏のところへ行って、震災時の話、その後の話などを伺った。ここは特養施設、震災時避難しないという決断をした施設。 ほかの施設では避難による死者が多かったのにこ。こでは避難しないことで少なかった。途中にあるトンパック(報道などではフレコンバッグ)(除染いや移染の時に出た土を収容する袋)1つ1トン収容。が並べられているがその上にシートを覆って強化された。このシートで10年は持つらしい。益々中間所蔵施設移転が遅れるのか。 「いいたてまでいな太陽光発電(株)」の発電所を2カ所を見学しました。ひとつは役場隣の「いいたて福祉会」の裏の斜面に設置してありました。60m位は長さの発電設備、もうひとつは1町歩位の広さの農地全面に設置してあった。これは圧巻。農地を転用するのが大変で、後で農地に戻すことができるように簡単な方法になっていた。 ここは静かで景色がよくて良いところです。線量計を持たなければ放射能のことすら気にならない。所々山がはげ山になって山の土を大きく取ったところがあって、何の工事をやっているのかななんて思っていましたが、S氏にあれは除染で削り取った土の代わりに埋め戻すために削り取った場所です。と教えられた。 飯舘村の中はほとんど人を見かけない。通る車も少ない。工事関係車両など。役場、交流センターなどの中には人はいましたが、歩いている人、子供、若者は見掛けなかった。家々も生活実感が全く感じられない。 次に訪れた南相馬は原町駅より先が海に続いている地域で線量は低い、ここは津波で6号線近くまで広大なところに時たま津波で残った建物以外見えない。見渡す限り何もない。工事のクレーンなど見えたりする。6号線より山側の家々には生活実感があって、家の前には車が2,3台止まっている。ここは生きているという実感でした。 何とか海岸線に近いところまでと車を進めていただきましたが、土道の道路、工事関係の車両、震災後設置された大きな焼却場へ出入りするダンプカーと出会うくらい。また土手を建設している場所へ行ってみましたが、土の土手が出来上がったばかりのところ。辺り一面一軒家もない。勿論人もいないところでした。請戸鮭簗場(浪江町)の跡あたりに漁業組合の建物が津波の跡も生々しく残っていた。ここでは5年の歳月が止まってしまった。景色がとても良いところです。立ち枯れてしまった木々と川の水とのコントラスト、川を泳ぐ鳥たちのシルエットが綺麗でした。 また、帰りに福島へ向かう途中、飯舘村の交流センターに立ち寄った。元横浜市職員で都筑区にゆかりのある方F氏が飯舘村に勤められているので訪れた。出来たばかりの真新しい交流センターに職員の方が数名仕事をしておられた。F氏に多忙中にも関わらず、内部の施設をいろいろ案内・説明していただいた。ピアノのを買うお金がないので、有志の寄付でそろえることが出来た白いピアノ、その天井部には「織里音(おりおん)」の名前とともに寄付された人々の名前が印刷されていました。 感想 今までテレビ、新聞等の報道、福島の方々の話を聞いたりしていましたが、震災の2日前に訪れて以来福島に5年8ヶ月ぶりに縁あって行ってきました。やっぱり実際の現場を見ることで実感できたことが一杯あって、有意義な一日を過ごすことが出来ました。 「フレコンバッグ」→トンパック 放射能汚染土、枯れ葉などを収容する袋のことを「フレコンバッグ」と新聞報道などではされていますが、現地では「トンパック」というらしい。1トンの土が入る袋、アマゾン等調べると10枚7000円程度、飯舘村では230万袋が田畑などに集中しておいてあるとか。最近4段積みで並べられた「フレコンバッグ」に大きなシートが掛かっている。「フレコンバッグ」がむき出しだとグロテスクな感じがするが、シートで包むと少しグロテスク感がなくなる。ちなみにシートをかけることで10年は持つとのこと。逆に言うと中間貯蔵施設に収容されるは益々遠のいているのか? 2015年9月末時点で福島県では約915万5000袋が約11万4700カ所の仮置き場や除染現場の保管場所に置かれている。 飯舘村、南相馬市などでは今も除染が行われていた。翌日飯坂温泉周辺を歩いてみると、やっぱりここでも除染が行われていた。また福島市に戻って美術館・図書館周辺でも除染を行っていた。医王寺近くを歩いていると家の庭、ガレージの中などに「フレコンバッグ」が置いてある家があった。 |
福島被災地訪問記 - 風に吹かれて隠れ里 http://princeyokoham.sakura.ne.jp/cpg/thumbnails.php?album=170 |